甲州(山梨)ワインの歴史を簡単にマスター!知っておきたい基礎知識

「甲州ワインの歴史、知っていますか?」
日本固有のぶどう「甲州」から造られるワインは、世界に誇る山梨の宝ですが、その一杯に込められた深い物語を知る人は、意外と少ないかもしれません。
日本固有の甲州ぶどうの起源から、明治時代の近代化、そして現代の発展まで、甲州ワインが歩んできた道のりをご紹介します。一杯のワインがより深く心に響く、そんな甲州ワインの魅力と背景を一緒に紐解いていきましょう。歴史を知ることで、甲州ワインを飲む時間がもっと楽しくなるはずです!
私たちについて|御勅使川ワイナリー
御勅使川ワイナリーは、高圧ガス用バルブのパイオニアである株式会社宮入バルブ製作所が運営しており、そこで長年培った工業技術を生かし、ワイン醸造機器の自社開発も行っています。
山梨県南アルプス市の御勅使川扇状地という、ぶどう栽培に適した土地の特性を活かした個性豊かなワインが特徴です。
オンラインショップ:MS Online Shop




日本ワイン発祥の場所は、山梨県甲府市

明治3年(1870年)頃、甲府に住んでいた山田宥教と詫間憲久の2人が、外国人から学んだ知識をもとにワイン醸造を試みたのが、日本でのワイン造りの始まりとされています。
その後、明治10年(1877年)には、甲府からもほど近い甲州市勝沼町で、日本初の民間ワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」が設立され、本格的なワイン産業がスタートしました。このことから、甲府市を中心とする山梨県峡東地域(甲州市、山梨市、笛吹市)は、日本ワイン発祥の地とされています。
甲州ワインの歴史、その起源と甲州ぶどう

甲州(山梨)ワインの歴史は、その名の通り「甲州ぶどう」から始まります。ここでは、日本固有の品種である甲州ぶどうがどのようにして山梨の地に根付き、ワイン造りの礎を築いてきたのか説明します。
古代からのぶどう栽培と伝来
日本におけるぶどう栽培の歴史は古く、奈良時代には既に存在したとされています。山梨県へのぶどう伝来は、一般的に鎌倉時代と伝えられています。山梨でぶどう栽培が始まったとされる有名な伝説がいくつかあります。
その一つは、平安時代初期に高僧・行基菩薩が大善寺を建立した際、夢のお告げにより薬用としてぶどうを植えたという言い伝えです。また、鎌倉時代に甲州市勝沼の雨宮勘解由が自生の山ブドウと異なる蔓植物を見つけ、結実に至ったという説もあります。
甲州ぶどうの誕生と広がり
甲州ぶどうは、DNA解析の結果、ヨーロッパ系ぶどうと東アジア系ぶどうの交雑によって日本で誕生した品種であると発表されています。この独特のルーツが、甲州ぶどうが持つ繊細で和食に合う味わいの秘密とも言えます。
「甲州」という名前は、山梨県の旧国名である「甲斐国」に由来しており、この地で古くから栽培されてきた歴史を物語っています。江戸時代には、甲州ぶどうは主に生食用の高級品として、甲斐国で盛んに栽培され、多くの人々に親しまれていました
その後、明治時代に入ると、ワイン醸造用としても甲州ぶどうの優れた特性が注目されるようになります。日本のワイン造りのパイオニアたちは、甲州ぶどうの可能性を見出し、日本のワイン文化を築く中心的な品種として育てていきました。
明治時代 甲州ワインの近代化

海外技術の導入とパイオニアたち
明治時代に入り、日本の近代化とともに西洋の食文化が広がり始めました。その中で、山梨のぶどう栽培の歴史と結びつき、ワイン造りも大きな転換期を迎えます。
山梨県は、ぶどう栽培の適地として、政府の殖産興業政策の注目を集めます。そこで、県は2人の青年をフランスへ派遣しました。それが、高野正誠と土屋龍憲です。
彼らは1877年(明治10年)にフランスへ渡り、本場のワイン醸造技術を学びました。帰国後、その知識と経験を山梨の地で活かし、日本のワイン造りの礎を築くことになります。彼らの情熱が、甲州ワインの近代化を大きく推し進めました。
日本初の民間ワイナリー設立
1877年(明治10年)、この2人が中心となり「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。これが、現在のメルシャンの前身となる会社です。彼らは、フランスで学んだ醸造技術を甲州ぶどうに適用し、西洋式のワイン造りを開始しました。彼らは、日本ワインの歴史において、近代的なワイン造りの出発点として、とても大切な役割を果たしました。
戦後から現代へ 甲州ワインの発展

ワイン消費の拡大と技術革新
第二次世界大戦後、日本経済が成長するにつれて、食生活も豊かになりました。洋食が家庭の食卓に並ぶようになり、それに合わせてワインの消費も少しずつ増えていきました。かつては特別な飲み物だったワインが、より身近な存在になっていったのです。
この時期には、ワイン造りの技術も大きく進歩しました。低温発酵やステンレスタンクの導入など、近代的な醸造技術が山梨のワイナリーにも広がり、ワインの品質は飛躍的に向上しました。安定した品質のワインを効率的に造れるようになったことで、より多くの人に甲州ワインが届けられるようになりました。
日本ワインとしての品質向上と評価
2000年代に入ると、「日本ワイン」という言葉が広く使われるようになり、国産ぶどうを100%使用して日本国内で造られたワインへの注目が高まりました。山梨のワイン生産者たちは、長年培ってきた経験と新しい技術を融合させ、さらに品質の高いワイン造りに力を注ぎました。
特に、山梨県で生まれた甲州ぶどうやマスカット・ベーリーAといった日本固有の品種から造られるワインは、その個性豊かな味わいが国内外で高く評価されるようになりました。国際的なワインコンクールで受賞するワイナリーも増え、甲州ワインの品質が世界に認められるきっかけとなりました。
2013年には、地理的表示(GI)「山梨」が認定され、山梨県内で収穫されたぶどうを使い、山梨県内で醸造されたワインにのみ「山梨」の名称が使えるようになりました。これにより、甲州(山梨)ワインのブランド価値がさらに高まり、消費者にとっても安心して選べる目安となっています。
また、2018年には「果実酒等の製法品質表示基準」が施行され、国産ぶどうを100%使用し、日本国内で醸造されたワインだけが「日本ワイン」と表示できるようになりました。これにより、甲州ワインをはじめとする日本ワインの定義が明確になり、その品質と価値が守られることになりました。
山梨のワイナリーは、これからも「日本ワイン」としての誇りを胸に、ぶどう栽培から醸造まで、一つ一つの工程に愛情を込めて、飲み手の心に残るワインを造り続けています。
現代の甲州ワインと未来

現代の甲州ワインは、長い歴史の中で培われた伝統を大切にしながら、常に新しい魅力を生み出し続けています。地域全体でワイン文化を育み、国内外へその価値を発信しています。
ワインツーリズムと地域活性化
山梨県では、ワインを核とした地域活性化に力を入れています。美しいぶどう畑が広がる景観の中、ワイナリーを訪れて試飲や見学を楽しむ「ワインツーリズム」は、多くの人々を魅了しています。地元の食材とワインのマリアージュを体験できるレストランや、温泉と組み合わせた宿泊プランなど、地域全体でワイン文化を盛り上げています。
ワインツーリズムを通じて、地域の魅力を再発見し、生産者と消費者が直接交流する場が生まれています。
新たな挑戦と多様な魅力
甲州ぶどうの伝統を守りつつも、山梨のワイン生産者たちは、常に新たな挑戦を続けています。甲州ぶどう以外の日本固有品種であるマスカット・ベーリーAや、シャルドネ、ピノ・ノワールといった国際品種の栽培・醸造にも意欲的に取り組んでいます。
醸造技術の面でも進化が見られます。伝統的な製法に加え、酸化防止剤の使用を抑えた自然派ワインや、果皮と共に醸造するオレンジワイン、瓶内二次発酵による本格的なスパークリングワインなど、個性豊かなワインが次々と登場しています。国内外のワインコンクールで高い評価を受け、日本ワインとしての地位を確固たるものにしています。
若手醸造家たちの自由な発想と情熱も、甲州ワインの未来を明るく照らしています。彼らは、新しい技術やアイデアを取り入れながら、山梨のテロワールを表現するワイン造りに挑戦し、その多様な魅力は、世界中のワイン愛好家から注目を集めています。甲州ワインは、これからも進化を続け、私たちに喜びと驚きを届けてくれます。
まとめ
甲州(山梨)ワインは、遥か昔から続くぶどう栽培の歴史と、日本固有の「甲州ぶどう」から始まりました。明治時代には先人たちの情熱と海外技術の導入で近代化が進み、戦後には多くの人々の努力によって品質が高まり、日本ワインとして広く愛されるようになりました。今日では、ワインツーリズムで地域を盛り上げながら、さらなる可能性を探っています。甲州(山梨)ワインは、その歴史と、常に新しい美味しさを追求する姿勢が、私たちを魅了し続けています。
